えりも町年表略記
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えりも町のできごと
年号年/西暦年 | できごと |
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寛文9年 1669年 |
松前藩士・蛎崎蔵人が知行地として商場を置き交易を行なっていた |
寛政元年 1789年 |
小越(現えりも岬)はコンブの三千石場所といわれ、運上屋の番屋があった |
寛政10年 1797年 |
近藤重蔵がエトロフ島からの帰途、広尾からの山道を開く |
寛政12年 1800年 |
伊能忠敬が東蝦夷地の測量のため、幌泉に入る |
文政2年 1819年 |
高田屋嘉兵衛が幌泉場所を請け負う |
明治8年 1875年 |
幌泉郵便局が開設され、通常郵便事務を扱う |
明治13年 1880年 |
幌泉郡9か所に5戸長役場が置かれ、行政の基礎ができる |
明治22年 1889年 |
襟裳岬灯台が点灯する(本道唯一の1等灯台) |
明治24年 1891年 |
大流氷群が接岸してコンブ礁が被害を受ける |
明治39年 1906年 |
二級町村制の施行で戸長役場を廃し、幌泉村役場を設置する |
大正9年 1920年 |
第1回国勢調査を実施(4,699人・戸数863) |
大正13年 1924年 |
幌泉・様似間の道路が開通し、自動車が初めて本村に来る |
昭和9年 1934年 |
日勝海岸道路「黄金道路」が開通する |
昭和17年 1942年 |
村内の字名地番を改正し、10の字(あざ)を定める |
昭和18年 1943年 |
様似・幌泉・庶野間に鉄道省営バスが運行される |
昭和25年 1950年 |
襟裳岬が道立自然公園に指定される |
昭和27年 1952年 |
十勝沖地震津波が発生し、漁業が大きな被害を受ける |
昭和30年 1955年 |
第8回国勢調査を実施(9,267人・1,630世帯) |
昭和34年 1959年 |
町制を施行し「幌泉町」になる(1月1日) |
昭和35年 1960年 |
チリ地震津波の早朝来襲で、漁船が甚大な被害を受ける |
昭和45年 1970年 |
町名を幌泉町から「えりも町」に改称する(10月1日) |
昭和49年 1974年 |
NHK紅白で島倉千代子・森進一が同名異曲「襟裳岬」を歌う |
昭和55年 1980年 |
開基100年記念式典を挙行する |
昭和56年 1981年 |
襟裳岬を拠点とする景観が「日高山脈襟裳国定公園」に指定される |
昭和62年 1987年 |
商店街近代化事業と国道拡幅事業が完成する |
平成9年 1997年 |
国定公園の観光拠点として「風の館」が開館する |
平成12年 2000年 |
えりも町120年記念式典を挙行する |
平成18年 2006年 |
天皇皇后両陛下が行幸啓で来町される |
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襟裳岬灯台
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歌碑の除幕式で
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襟裳岬「風の館」
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